甲子園球児になるための
夏休み 大阪硬式野球合宿2020

コーチ・スタッフ

投手コーチ
藤田 太陽

新屋高 → 川崎製鉄千葉 → 阪神 → 西武 → ヤクルト

 

高校卒業後、社会人・川崎製鉄千葉に入社。2年目の99年に頭角を現し、第14回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、大会では最優秀防御率賞に輝き日本の3位入賞に貢献。00年のドラフト会議で阪神を逆指名しての1位指名で入団。02年にプロ初勝利初完投を記録し、03年から開幕ローテーション入り。09年に西武へ移籍し中継ぎ、抑えとしてリリーフ投手陣の中心として活躍。13年、ヤクルトに移籍するも、同年現役引退。


野手コーチ
濱中 治

南部高 → 阪神 → オリックス → ヤクルト

 

和歌山県立南部高校卒業。幼少期の憧れは原辰徳氏(読売ジャイアンツ所属)。1996年のドラフト会議では、阪神タイガースより3位指名を受ける。プロ入り直後より、将来の4番候補として期待を集める。2001年に頭角を現すと、翌年は「3割・18本塁打・51打点」を記録するなど、主力打者に成長した。開幕から4番に座った2003年は打点を量産し、チームの快進撃に大きく貢献する。ところが、右肩の怪我によりシーズン途中で戦線を離脱。復帰が同年の日本シリーズにまでずれ込むと、2004~2005年も怪我や手術の影響により出場機会を減らした。しかし、2006年は5番打者として完全復活。「3割・20本塁打・75打点」をマークする。怪我から何度も復活するその姿から、ファンはいつしか彼を「不死鳥」と呼ぶようになった。その後は、オリックス・バファローズ、ヤクルトスワローズと球団を渡り歩き、2011年オフに引退を発表する。  


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