【体験記】カナダ高校野球留学
埼玉県:雄太選手

体験記

  • 菊崎 雄太

【選手情報】

氏名
菊崎 雄太
年齢
18才
出身地
埼玉県さいたま市
ポジション
投手
投 ・ 打
右 ・ 右
球歴
市立川越高 → Sands Secondary School → 横浜市立大
留学地
カナダ・ブリティッシュコロンビア州デルタ市
留学期間
2011年4月~2013年7月
参加プログラム
プロフィール
高校1年時にカナダへ高校野球留学。文武両道の厳しい環境の中、学業と野球の両輪で好成績を残し、2013年5月に現地校を卒業。帰国後は、帰国子女枠で横浜市立大学へ推薦入学。神奈川リーグ一部昇格を目指す。

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日本の高校野球を辞め、カナダでもう一度野球選手としてやりなおそうと、留学を決意した菊崎選手。充実した留学生活で新しい自分を発見し、その経験を活かして日本の有名大学に入学した独自のストーリーをお聞きしました。

一度はあきらめた野球に再挑戦するために

2010年4月カナダへ渡り、2年余りの留学を終えて、帰国しました。留学生活を振り返ってみると、今は夢から醒めたような気持ちです。それだけ、カナダでの生活が楽しく、充実していたのだと思います。でも、最初から順調だったわけではありません。どちらかと言うと、波乱万丈でした。カナダに渡った初日、空港で間違えて移民のゲートに行ってしまったのです。空港係員に勢いよく英語で叫ばれたので、とりあえず知っている単語の中から「ミステイク!ミステイク!」と訴えて戻ろうとしたのですが、連れ戻されてしまって(笑)。この騒動で、空港に迎えに来てくれた人を、4時間も待たせてしまったことは、今でも忘れられません。

カナダ留学を決めたのは、とにかく野球を続けたいという一心でした。実は、日本の高校に入って数ヵ月後、肘を怪我して練習をしばらく休んだのです。上下関係の厳しい野球部に馴染めないでいたこともあり、その後、怪我が治っても、練習に行けなくなってしまいました。いくら自分を奮い立たせても、いざ行こうとすると怖くて体が言うことをききませんでした。野球をあきらめようとしていたところ、久しぶりに中学時代の先輩に会ったのです。先輩は、なんとカナダ野球留学中とのこと。その話を詳しく聞いてみると、日本とは少し違う環境だということがわかりました。「これなら野球が続けられる!」と確信。もう一度挑戦したい、自分を変えたいと思いで、留学を決意しました。

英語が話せるようになって変わったカナダ生活

カナダに渡った頃は、英語を思うように話せない、友達もいない、授業は全然聞き取れないという状況。覚悟はしていたものの、淋しかったです。最初は、ホストファミリーとも会話ができず、もどかしい毎日を過ごしていました。でも、このままではいけないと思い、ホストファミリーの子どもたちと一緒に遊ぶようにしたのです。子どもたちとなら、簡単な英語でコミュニケーションがとれ、次第に打ち解けることができました。もともと「英語ができるようになりたい」と思って、カナダに行ったわけではありません。しかし、少しずつ友達ができてからは、もっと英語を話せるようになりたい、と強く思うようになりました。友達と話していても会話が通じないと、途中で離れていってしまうのです。英語が話せるようになってからは、たくさんの友達ができ、チームの中でも人気者になれたと思っています。

大きな壁を乗り越えて

こうしてカナダでの生活が楽しくなってきた頃、大きな壁にぶつかってしまいます。カナダは地域ごとのチームでリーグ戦を戦います。中でも僕は、高校野球リーグ最高峰のプレミアベースボールリーグのチームに所属していたのですが、秋のトライアウト期間後に、メンバーから外れてしまったのです。本当に悔しく、何とか見返してやりたいと思っていたところ、チームメイトから別のチームを紹介してくれることになりました。心機一転、新しいチームに移ることを決意。そのチームの活動場所は、学校や住んでいる場所からは、少し遠かったのですが、コーチが送り迎えをしてくれることになりました。おかけで、慣れ親しんだホストファミリーとの暮らしと学校生活はそのまま。野球は、新しいチームで再スタートを切ることができました。

悔しさをバネに、努力でつかんだ達成感

移籍後の2つ目のチームでは、悔しさをバネに、野球に打ち込みました。秋リーグの結果によって、春学期のメンバーが決まるので「必ずメンバー入りするぞ!」という強い気持ちで臨みました。メンバー入りできるかどうかは、1人ずつミーティングルームに入って聞きます。僕にも緊張の瞬間がやってきました。部屋に入り「おめでとう!!」と手を差し出された瞬間は、思わず監督に抱き付いて大喜びしました。紹介してくれた友達、送迎を引き受けてくれたコーチ、僕の意思を尊重して応援してくれたホストファミリーに、心から感謝しました。それまでは、チームに参加し、それなりに野球をやって楽しめば良いと思っていました。でも、1つ目のチームでメンバーから落とされてから、気持ちの持ちようが変わりました。体が小さい分は、練習でカバーしようと、誰よりも練習に励むようにもなりました。

春のリーグでは、敗戦処理からスタートしたものの、気付くと防御率がリーグで2位になっていました。それが認められ、良いところでリリーフとして投げられるようになり、監督たちの信頼を得ました。そして、待っていた時がやってきたのです。自分を落とした1つ目のチームとの対戦。「この試合では、どうしても先発がしたい」、そんな強い思いが僕を突き動かしました。先発は、それまで一度もやったことはありませんでしたが、コーチに「先発をさせてください」と自らお願いし、投げさせてもらうことになりました。しかも、相手チームの先発は、カナダ留学を紹介してくれた中学校の先輩。そんな偶然とチームの勝利が重なり、本当に野球が楽しいと思えた日となりました。

カナダ生活が与えてくれた度胸

日本にいた頃であれば、自ら「先発をさせてください」と頼むことは、できなかったと思います。留学して度胸がついたことで、投手としてもひとまわり成長できました。試合中、自分がボールを投げないと試合が動かない、他の選手たちは何もできない、そんな優越感を味わいながら、マウンドに立つようになりました。カナダに行って、自分の色が出せるようになったと実感しています。日本では周りに合わせたり、流されたりしていましたが、意見をはっきりと述べ、人に合わせることがなくなりました。こうして自信が持てるようになり、結果を残すと、チームメイトもきちんと内面を見てくれるようになります。英語での会話も、心から楽しめるようになりました。帰国前には、メンバーがサプライズでパーティを開いてくれました。チームにあったユニホームにメッセージを書いてくれ、プレゼントしてくれたのです。最後の試合では、完封勝利をおさめ、カナダ生活の最後を飾ることができました。

何かに挑戦したいと思う気持ちを大切に

留学をしようかどうか迷っているなら、行ってみても損はないと思います。特に「自分を変えたい」「何かに挑戦したい」という思いを実現させるには、最適なステージです。僕は一度、野球そのものを辞めようと思っていた時期がありましたが、カナダでもう一度マウンドに上がった時は、幸せを感じることができました。そのまま日本にいれば、今の自分はなかったでしょう。
 

留学に行く前の準備は、ボキャブラリーを増やすために、単語の勉強には力を入れておくと良いと思います。また、できるだけトレーニングをして、筋力をつけておくことも大事です。監督やコーチ、チームメイトに与える最初のインパクトは、とても重要だと思いますよ。留学中は、一度に多くのことをやろうとしないほうが良いと思います。1つ目標を達成したら、次の目標に向けて頑張る、というふうに一つ一つ階段を上がっていくように進んでいくことをおすすめします。

新たな目標に向かって

帰国後、カナダの高校を卒業し身につけた英語力を生かして、横浜市立大学の「海外帰国生入試」に合格しました。面接では、自分を変えることができた留学をテーマに「自分史」のプレデンテーションを行ったのですが、きっと、面接官にもアピールできたのではないかと思います。 留学当初は、大学に進学するかどうかは決めていなかったのですが、カナダで高校生活を送り野球を続けたことで、このような道が広がりました。次は、大学でしっかり勉強をして、将来を見極めたいと思っています。
 

また、大学の野球部は、今、神奈川リーグの二部なので、一部に上がれるように貢献したいです。というのは、個人的にも理由があるのです。リトルリーグ時代のチームメイトが、一部リーグの大学野球部におり、対戦するのが夢。彼は、小学生の頃、憧れの選手だったのですが、10年近く経った今ならどのような対戦ができるのか……。当時感じていた力の差も今なら縮まり、不足はない対戦相手として再会できると信じています。大学生活も、カナダの留学生活に負けないくらい充実したものになるのではないかと、今からワクワクしています!

 

インタビュー:金木 有香

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