夜間強化トレーニング付!
冬休み 東京少年軟式野球合宿2016

コーチ・スタッフ

野村 弘樹

投手コーチ

野村 弘樹
PL学園 → 横浜大洋・ 横浜 → 横浜コーチ
 

広島中央リトルでは、1学年上の元阪神・金本選手とともに技術を磨き、ボーイズリーグ・広島ジャガーズを経て、名門・PL学園に入学。87年、立浪和義(中日)、片岡篤史(阪神等)、橋本清(巨人)、宮本慎也(ヤクルト)らを擁した強力チームのエースとして史上4校目の甲子園春夏連覇を成し遂げ、同年秋のドラフト3位指名を受け、横浜大洋ホエールズに入団。88年、対広島戦で高卒ルーキーとしては史上5人目のプロ初登板初完封勝利を挙げ、90年、プロ入り初の2桁勝利を挙げ、オールスターゲームに出場。翌91年は2年連続二桁となる15勝を挙げると、93年には17勝を挙げ最多勝に輝く。98年には3年連続二桁勝利となる13勝を挙げ、チームを38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。同年の日本シリーズは開幕投手に抜擢され、投打にわたり大活躍。02年、現役引退。

 

成績
301試合 101勝88敗0セーブ 防御率4.01
最多勝:1回 ('93)
オールスターゲーム出場:3回 ('90、'91、'93)

 

指導歴
03年、湘南シーレックスの投手コーチに就任し、翌04年には横浜ベイスターズの投手コーチに昇格。07年、同チームの投手コーチに復帰し、10年まで第一線で指導。


駒田 徳広

野手コーチ

駒田 徳広
桜井商 → 巨人 → 横浜 → 東北楽天コーチ → 横浜コーチ
 

奈良・桜井商ではエースで4番として活躍し、高校通算43本塁打、打率.490を記録。イニングの先頭バッターで敬遠されたり、高校3年時の奈良県大会決勝戦で、強豪天理高校戦において無死満塁で敬遠されたエピソードを持つ。80年、ドラフト2位で投手として巨人に入団。1年目の春季キャンプから内野手に転向。プロ3年目の83年に一塁手で先発出場し、満塁の場面から初打席初本塁打を記録。後に、満塁機での無類の勝負強さを発揮し、「満塁男」の異名を持つきっかけとなった本塁打で、日本プロ野球史上初の初打席満塁本塁打を放ち一軍デビューを飾った。90年、7番打者ながら22本塁打83打点と、チーム最多の本塁打と打点を記録。チームのセ・リーグ二連覇に貢献し、オールスターゲームにも初出場。95年、横浜に移籍。98年、キャプテンに就任し、マシンガン打線の5番打者としてチームの日本一に貢献。2本の満塁本塁打を含む自身の満塁での強さなどから81打点を挙げベストナイン獲得。日本シリーズでは日本一を決めた第6戦で、決勝2点タイムリー二塁打を放ちシリーズ優秀選手に選出。00年に2000本安打を達成し、同年引退。

 

成績
2063試合 2006安打 195本塁打 953打点
ベストナイン:1回('98)
ゴールデングラブ賞:10回('89~91、'93年~99)
*一塁手としては歴代最多獲得
日本シリーズMVP:1回('89)
日本シリーズ優秀選手賞:1回('98)
オールスターゲームMVP:1回('92・第3戦)

 

指導歴
東北楽天、横浜の一軍打撃コーチ歴任のほか、巨人や千葉ロッテ春季キャンプ時の臨時一塁守備コーチを務める。また、IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表打撃コーチ、常磐大学硬式野球部の臨時コーチを務め、同大学では3季ぶりの関甲新学生野球連盟一部リーグへの昇格を決めた。


渡辺 清久

野手コーチ&コンディショニングコーチ

渡辺 清久
関東一 → 東洋大 → 社会人野球 → ベースボールトレーナー

関東一高3年生時に、4番遊撃手として選抜高等学校野球大会に出場。その後、東洋大学に入学し、1年時に東都大学リーグ優勝。社会人でプレー後、93年、株式会社日本エアロビクスセンターに所属し、高校野球や社会人チームを中心に、トレーニング・コンディショニングを指導。その後、医療機関で初動負荷トレーニングによる投球動作や打撃動作・ランニングフォームなどの運動動作の改善方法と疾病予防の運動療法・リハビリテーションを学び、04年、Wコンディショニングルームを開設。日本コアコンディショニング協会認定・マスタートレーナー。

 

指導歴
長生リトルリーグ監督、茂原リトルシニア監督を歴任。現在はベースボールトレーナーとして、ジュニアからプロ野球選手を対象に技術指導やトレーニング指導を行う。


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